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2008年10月

府中市職員はえらい!

東京の生活サポート基金では、生活再生のために必要であれば、債務整理をしてブラックになった人にも、融資をしています。

もちろん融資だけが解決の道ではなく、生活保護の受給も、事例は少ないけれど選択肢の一つです。

せんだって府中市役所に、相談者の生保受給について電話したところ(プライバシー問題なので具体的には省きますが)、

非常に親切な対応だったので、本当に驚いてしまいました。

親切で驚くというのも変ですが、ホームレス支援をしていて、「生保窓口=冷たい対応」が身にしみているものですから、

府中市職員の対応に、感動してしまったのです。

あたりまえのことなのでしょうけど。

見習ってほしい役所がたくさんあるのは、悲しいですね。

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弔辞-中島明子さんに捧ぐ-

中島さん ひつぎに眠るあなたにこう呼びかけた後、私はこの後に続ける言葉をどうしても見つけることができませんでした。

あまりにも突然のできごとに、悪い夢を見ているようです。

今にも、あなたが目を覚まして、起き上がってくるような気がするのです。

でも、この美しい花々に囲まれて、微笑んでいるあなたの写真を見ていると、現実を受け止めてね、と言われているようにも思えます。

中島さん、あなたと関さんと私は、99年に市会議員選挙で初当選した同期生です。

苦楽を共にしたネットワーク横浜の仲間として、あなたの旅立ちに際し、弔辞を読ませていただきます。

私たち3人が当選して、ネット横浜の市議団は9人になりました。当選したばかりのころ、市の職員に、中島さんが緑区で定数4を勝ち抜いて、すごいと思った、ネットの勢いを実感した、と聞かされました。あなたの存在はネット横浜のパワーの象徴だったのです。

そして、ネット横浜は、悲願だった議員提案権を持ち、毎議会、条例提案を行いました。議会初の政策的条例提案!とマスコミにも取り上げられました。議場で議員同士が議論したことも、議会始まって以来のことでした。

私たちネット横浜が行うことは、必ず議会初という冠がつきました。民主的な議会をつくる、新しい政治をつくるという気概に燃えていました。

一方で、これらの華々しい活躍は、地道な苦労があってこそ。当選したばかりで右も左もわからない新人の私たち3人。必死でしたね。まわりは敵ばかり、一時も気を抜けない状況の中で、団会議では激しく議論し、外に向けては結束して戦いました。

そういう中で、あなたは本当に頑張りやでした。嫌なこともいっぱいあったでしょうに、怒ったり泣いたりする顔を、私は見たことがありません。

でも、時折仲間で行ったカラオケで、あなたがにこにこしながら歌っている時の顔はよく覚えていますよ。

のびやかな美しい声であなたが歌う「五番街のマリー」、私は大好きでした。叶うことなら、もう一度聞かせてほしいです。

私たちネット横浜の力不足もあり、緑区では、2003年、2007年と残念ながら選挙に失敗しましたが、あなたは、めげることなく、しっかりと自分の軸足を地域におき、さらに活動を広げていきました。

どんどん力強くなっていくあなたの姿に、どれだけ多くの人がはげまされたことでしょう。

最近では平和の活動に力をいれていることを、ブログや、メーリングリストで知り、陰ながら感服していました。

もっともっと活躍できたはずなのに、本当に、本当に、残念です。

楽しいこともありました。

まだ、新人議員だったころ、あなたと関さんと私と3人で、先輩議員たちに内緒で、京都に旅行しましたね。桜がはらはらと散る、あたたかな春でした。

あなたがたくさんの花の名前を知っているのに驚かされました。

一期終えた後、モンゴルにも3人で行ったよね。

あなたはかわいらしいお嬢さんと一緒でした。とても仲が良くて、娘のいない私は、ちょっぴりうらやましい気持ちになりました。

孤児院を訪問したあと、馬にのったり、ゲルを組み立てたり、お湯がでなくて水の風呂に入ったり、本当に楽しかったね。一緒に旅行したのは、このたったの2回だけでした。もっと一緒に遊びたかった。思い出はつきることがありません。もっと話したいけれどこのくらいにします。

先日、あなたの大切な宝物であるお子さん、お二人にお会いしました。お嬢さんも息子さんも、とても立派に、素敵な青年に成長されておられ、感動しました。あなたは、子育ても上手な人でした。

一本気でまじめで頑張り屋のあなたでした。才媛という言葉がぴったりで、あなたのいる場所には、いつもスポットライトがあたっているようで、光り輝いていました。

まじめだからか、要領が悪く、時々ドジを踏む愛嬌もありました。

最後に大ドジ踏んじゃったね。苦しかったら救急車呼べばいいのに、このくらいでと、我慢したのでしょう。我慢強い性格が裏目に出てしまったのが、本当に悔しいです。

でも、あなたの顔、あなたの声、あなたの姿、しぐさ、歩き方、みんな、みんな、覚えています。

あなたは、私たちの心の中で、いつまでも生き続けていることでしょう。決して、決して、忘れません。

あなたがこつこつと播いた小さな種は、それぞれ大きくなって、いつか花をさかせ、実を結ぶと信じています。

私たちも、そのひとつぶを大切に育てたいと思います。

中島明子さん、さびしいけど、本当にお別れなのですね。

今まで突っ走ってきた分、ゆっくりと休んでください。

いずれ、私たちにも、あなたのそばに行く日が訪れることでしょう。

その時に、胸をはってお会いできるように、私たちも頑張って生きていきます。

中島明子さん さようなら。ご冥福をおいのりします。

2008年9月30日

 地域政党 ネットワーク横浜の仲間代表 石上恵子         

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